2012年3月:東北⑱「大船渡・越喜来小学校」
東日本大震災では「〇〇の奇跡」といったエピソードがいくつか語られています。
ここ越喜来小学校もその一つ。しかし、その奇跡は決して偶然もたらされたものではなく、ハード・ソフトの両輪による備えがあったからこそだと言えます。
越喜来小学校は海まで約200mしかありません。地震が発生した後、短時間で津波が襲来すれば、逃げ場を失います。
当初の避難経路は、1階に集合した後、高台を目指すという、ある意味一般的なものだったそうです。
しかし、ある議員さんが「1階に集まっていては時間がない。2階から直接道路に逃げられるよう連絡通路を設置してほしい」と要望。
震災の前年に、通路が完成します。しかし、その議員さんは震災の9日前に病気でお亡くなりになられました。
★紹介記事 https://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290249.html
校舎の2階から、直接道路へ避難するための連絡通路。
震災後のストリートビューにもしっかり記録されています。
そして3月11日。71人の児童と教職員は、この通路を経て全員無事避難したそうです。
お恥ずかしい話ながら、私がこのエピソードを知ったのは震災からかなり後の話です。
なので、しっかりとした写真が残っていません。
越喜来小学校は取り壊され、現在は空き地になっています。
大急ぎで仙台空港に戻り、レンタカーを返却。
いつものリムジンバスで無事到着です。